THE BLUE HEARTS
こんばんは。
ご無沙汰してます。
時間って、あっという間に過ぎるんですね。
今日は仕事を離れて、大好きな音楽について書きたいと思います。
まぁ僕は音楽が好きなんですが、割と節操なく聴きます。
洋楽も邦楽も聞くし、昔の音楽も今の音楽も聴きます。
ジャズやレゲエも聞くし、アフリカンミュージックもフォークも聴きます。
が、やはり中でも好きなのはロックンロールなんですよねー。
日本にいた時は月に一回は必ずライブハウスに足を運び、
翌日首を中心にあちこち痛くなるくらい踊ってました。
そんな僕のロックンロール原体験といえば、もちろん「THE BLUE HEARTS」です。
ちょうど80年台半ばって、校内暴力とかが流行って若者が鬱屈したエネルギーの発散先を探してた時代だと思うんです。
そこに、まさにそんな若者を代弁すべく彼らは叫びました。
「劣等生で十分だ、はみ出し者で構わない」と。
人並みに思春期を過ごした僕は、これでだいぶ救われたんですよね。
自由にバカやってれば良かった子供の時代が終わって、中学生になった時に急激に窮屈になって、でも逃げれなくて、そんな僕でも音楽を聴いている時は自由でした。
そう、ロックンロールの本質は「自由」にあると僕は感じています。
自由を得られないが故に怒り、自由を得るために歌うんじゃないかな。
僕は個人的に「一体感」ってやつが嫌いです。
だからパラパラとかみんなで踊るのが流行ってた時もまじキモい、と思ってたし
今流行りのEDMでみんなで一つになろう、みたいな感じも嫌です。
好きなように踊りたいし、好きなように叫びたい。
セブ島にいると日本にいるときより抑圧された感じがなくて、自由を感じます。
それでもやっぱり時々わーって叫びたくなる時もありますよね。
そんな時は僕はいつだって心の中にブルーハーツをかけます。
スキレットができるまで③物件探し編
物件探し第二弾。
セブ島の洋食レストラン「スキレット」ができるまで②
ご無沙汰になってしまいました。すいません。
セブ島の洋食レストラン「スキレット」ができるまで①
2015年の4月にセブ島に移住してきた僕らは、レストランを作るべく動き出しました。
この時期によく聞かれていたのが「どんなレストランを作りたいか」でした。
でも、僕はけっこう曖昧にはぐらかせていました。
というのもこの時点ではイメージを固めすぎずにいたかったからです。
まず考えたかったこと、知りたかったことは
「セブで、いま、何が求められているか」でした。
これ抜きに自分のやりたいことだけ押し通そうとしてもうまくいかないだろうと。
どんなに良いものでも誰も求めていなければ意味ないですよね。
・子どもを安心して連れて行ける場所が欲しい
・細分化するニーズに対応出来る店がない(専門店化、居酒屋化傾向にある)
・行くたびに違うものが出てこない店があるといい
・フィリピンだから。。みたいな言い訳が透けてこない店が欲しい
・日本人が作る料理が食べたい(日本人が、日本で食べているもの。のようなイメージ)
・レストランとして、ではなく空間として、居心地のいい場所がない
・ヒットチューンばかりでカッコイイ音楽がかかってる店がない
・呼ばなくても来てくれる接客ができる店が欲しい
・品切れの商品がない店が欲しい
などなど、もちろん他のお店に対する不満ではなくて(案外フィリピンだしねーで済んでしまって腹も立たないことが多い)、単純にもっとこう言う店があったらいいなっていう感覚ですね。
まぁこれがどれだけ大変かは、もちろんスタートしてから嫌というほど思い知らされるわけですが。
というわけで、全体的には求められているものを考えながら場所を探していました。
ここでもしイメージを固めすぎてしまうと、とても危険です。
だって高級住宅街を抱える場所と、若者が集まるダウンタウンでは全く求められているものが違いますよね?
僕らは何の実績もないしコネもなかったので、場所が選び放題ではありません。
むしろ、ほとんどのところは取り合ってもくれません。
なので「こういうことがやりたいから、それに合った場所を探そう」という方法は取れず、
「この場所にはこれが求められているから、それを追求しよう」という形でやるしかありません。
やるからには必要とされるお店にしたい、喜ばれる形にしていきたい、
これは当時も今もずっと考え続けている課題です。
まだまだ理想には遠く、時折白目をむいたりしますが日々前進していきます。
デング熱の予防接種
こんにちは。
今日はいまセブでもプチ流行中のデング熱の予防接種を受けてきました。
セブで入院するとだいたい10万円ほどかかるし、とにかく入院して1週間も休むわけにはいかないので、注射を打ちにきました。
ジャパニーズヘルプデスクさんに紹介して頂いた病院に予約を入れました。
セブドクターズホスピタル、通称セブドクの裏にある BORROMEO BLDGというところの二階です。ビルは割と古いですが、中は清潔感がありました。
が、やはりセブで注射となると怯みましたね。どんなに痛くされるんだろう、とか衛生状態が悪くて腫れ上がったりしたらどうしよう、など不安はつきません。
うちの奥さんは青い顔してるし、注射が苦手ではない僕でも気分は重かったです。
が、しかし、結果的には全く痛くなかったし安全でした。
針ほっそいんですね〜。刺さった感じが全くしなかった!これは嬉しい誤算!!
副作用は頭痛がする場合があるという説明でしたが、今の所ありません。
麻疹風疹のワクチン接種時には高熱が出た、乙女な僕ですが今回は大丈夫そうです。
費用は1万5千ペソで半年おきに3回接種と、そう安くはないですね。
あと、気をつけなきゃいけないのは9歳から45歳までしかできないとのことで、うちの母は無駄足となりました。来年には全ての年代に認可されるかもとのこと。もしくは日本の医者に推薦状を書いてもらえれば接種可能だそうです。
特に子どもがいる方は不安があると思いますので、検討されると良いと思います。
セブに移住するきっかけ②
セブに移住するきっかけ後半戦です。
③ 子どもを育てる環境として日本よりいい!
うちには9歳の娘が一人います。
彼女は日本では普通の公立学校に通っていました。
ただやっぱりずっと見ていると「窮屈そうだなー」と感じることが少なくありませんでした。
例えば、彼女は外で遊ぶのが大好きな元気っ子なのですが、
クラスの女の子たちは休み時間も外では遊ばず、教室で本を読んだりしています。
そうなると、もちろんうちの子だけ外で遊ぶわけにはいきません。それを強要されるわけではないでしょうが、なんとなく周りに合わせるようになります。
最近では同調圧力なんて言い方をされますね。
僕はこれがすごく嫌いでした。いわゆる「空気読め」みたいな感じがとても気持ち悪いんです。
だって、子どもでも大人でもそうですが、考え方なんてみんなそれぞれなのに、なんでみんなが同じように感じてるふりをしなきゃいけないのか分からないんですよね。
僕自身も、高校生くらいまでは「協調性がない」とか言われてました。
対してセブの子どもたちはとても自由です。
学校にはスナックを持って登校するし、いろいろなことがあやふやです。
あるとき学校から「オレンジ色のTシャツを持ってきて」と言われました。
しかも夕方に帰ってきて、明日持っていかなければいけません。
娘はそう言われたもんだから焦って、一生懸命探してなんとかオレンジ色のTシャツを近所で購入して翌日持って行きました。
でも、他の子達はピンクや紫のTシャツを平気で着ていました。
誰もそんなことでは怒りません。それがいいか悪いかは置いといて、とにかくおおらかです。いじめられて自殺する子もいませんし、のびのびと育てられるのではないかと考えました。
移住するにあたり、子どものことはやはり一番気がかりでした。
合わなければすぐに帰国しようと考えていました(その考えはなんだったの、って言うくらい杞憂に終わりましたが)
英語を学ばせたい、とかグローバルな人材に育てたいとか考えていたわけではなくて、とにかく窮屈にならずにのびのび育つにはセブの方がいいのかなと考えて移住を決めました。
以上がだいたい移住を決めた理由です。
まだまだその決断の答えは出ていませんが、今の所来てよかったなーと思ってます。
子どもの学校事情などは情報が少なくてお困りの方も多いと思いますので、いろいろと今後も書いていきたいと思います。
セブ島に移住するきっかけ①
初めまして。
フィリピンのセブ島で「スキレット」という洋食レストランをやっています、
辻 真樹と申します。
38歳というそう若くはない年齢で(髪の毛の残り具合は50代という噂もありますが)、しかも嫁さんと子どもを連れての移住という思い切った決断をしました。
もちろん簡単な決断ではなかったですし、そこにはいろいろな理由があります。
というわけで、初回はまず、セブ島移住のきっかけを書いてみたいと思います。
まず
① 父、母、祖父がすでにセブに移住していた!!
はい、そうなんです。まさかの理由①ですね。
こちらに移住している日本人としてはすごく稀なケースですよね。
当時96歳だった祖父とうちの娘を入れればなんと4世代!
これはセブにいる日本人ではうちだけだったんですよ。
父と母はセブ最南端のサンタンダーという場所で(ジンベエザメで人気のオスロブの少し先ですね)「ルビリゾートホテル」というリゾートを経営しています。
6部屋しかない小さなリゾートですが、世界的なダイビングスポットが点在するエリアにある数少ない日本人経営のダイビングリゾートとして人気を博しています。
セブ島の中心部からは車で3時間半と距離はありますが、その分本当にゆっくりできるのでオススメですよ。
というわけで、そもそもセブに足場があった、というのは移住の大きなきっかけの一つですね。もちろん今までに何度も来ているのでどんな土地かもある程度は分かっていましたし、特に子どもを連れての移住に協力者がいてくれるのはかなり心強かったです。
② セブはいま盛り上がっている!!
ここ数年の経済成長は凄まじく、いま現在も新しいショッピングモールやホテル、ビルをどんどん建設しています。また空港も新しくなりますし、空港のあるマクタン島とセブ島を結ぶ橋も新たにできます。
もちろん中国やシンガポールほどではありませんが、富裕層のパワーは日本とは比べものにならず、超高級車を乗り回すお金持ちが値段を見ずに和牛ステーキを食べていたりします。
衰退局面にある日本とは違い、今後に期待が持てる、チャンスがあると感じたことも移住のきっかけの一つです。
日本でレストランを個人で開業することは、いまとてもリスクがあります。
特に東京はいい物件はとんでもない値段がしますし、開業資金が莫大にかかります。
スタートしてからも年々跳ね上がる食材価格に苦しめられますし、人件費も相当かかります。
リスクとリターンを真剣に考えた結果、セブ島で挑戦してみようと思ったのです。
長くなってしまったので、次回もう少しセブ島に移住するきっかけを書きたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。